【物理学】運動量とエネルギーの歴史
ニュートン力学では運動する物体は「運動量」や「運動エネルギー」という物理量を持つことを学びます。「運動量」とは「物体が持つ運動の勢い」 、「エネルギー」とは「仕事をする能力」のことです。
この「エネルギー」という言葉は、200年ほど前につくられた造語であり、その後もエネルギーとは何かについてさまざまな議論がなされてきました。
それまでに存在しなかった「エネルギー」という言葉や概念を、なぜ作り出す必要があったのでしょうか?
その歴史は17世紀の2人の学者、デカルトとライプニッツの主張が対立したことに遡ります。
デカルトとライプニッツの活力・運動量論争

重い物体と軽い物体を同じ高さから落下させるとき、空気抵抗の影響がなければ地面に同時に到達することを見いだしたのはガリレオでした。
2つの物体が地面に衝突する速さは等しいですが、地面への衝撃は明らかに重い物体の方が大きいことが分かります。このことから、運動する物体がもつ「何か」は、速さ v だけでなく質量 m にも関係すると考えるのは自然なことでした。
この「何か」をデカルトは 運動の量(quantity of motion)と呼び、質量 m と速さ v との積 mv で表しました(1640年頃)。
これに対してライプニッツは、鉛直に投げ上げた物体が到達する高さ h は投げ上げる速さ v ではなく v^2 に比例することから、運動する物体がもつ「何か」は mv^2 で表すべきであると主張し、これを 活力(vis viva (ウイス・ウィウァ):ラテン語で"生きている力")と呼びました(1686年)。
この後、運動する物体のもつ「何か」を「運動の量 mv」で表すべきか「活力 mv^2」で表すべきか、多くの物理学者による長い論争が始まりました。
論争の決着

自動車や自転車は、ブレーキをかけてもすぐには止まることができません。速さが上がるほど、停止するまでの時間や距離も伸びます。
速さが2倍になると、停止するまでの「時間」は2倍になり、停止するまでの「距離」は4倍になります。
つまり、停止するまでの「時間」は「速さ」に比例し、停止するまでの「距離」は「速さの2乗」に比例するのです。
「運動の量 mv」は運動を「時間」の観点で見たものであり、「活力 mv^2」は運動を「距離」の観点で見たものだったのです。
半世紀以上にわたる論争は、ダランベールによって、いずれも重要な物理概念であるとして決着がつけられました(1743年)。
ワットによる「仕事」の定義

やかんや鍋に水を入れて沸騰させると、発生した水蒸気によって蓋がもち上がるのを見たことがあると思います。
水蒸気の力で物を動かす仕組み(蒸気機関)は、古代ギリシャ時代の文献にも見られます。
18世紀にイギリスで起こった産業革命では、工場での大量生産を支える動力源として、ワットが1769年に改良した蒸気機関が大きな役割を果たしました。
ワットは、製作した蒸気機関を使う工場から使用料を徴収するため、蒸気機関がする「仕事」を「力」と「移動距離」との積で定めました。
現在の物理学で用いられる「仕事」は、物理学者ではなく技術者・発明家であるワットによって定義されたのです。
仕事-エネルギーの原理
ワットによって仕事の定義がなされると、物理学者たちは運動する物体が他の物体にすることができる仕事が (1/2)mv^2 で表されることに気づき、「活力」を mv^2 ではなく (1/2)mv^2 と改めました。
1807年、イギリスのヤングは「活力」の代わりにギリシャ語の「仕事(ergon)」に由来する「エネルギー(energy)」という用語を導入し、「エネルギー」=「仕事をする能力」と定義することを提唱しました。
(1/2)mv^2 が運動エネルギーと呼ばれるようになったのはこれ以降のことです。
エネルギーの総量は変わらない-エネルギー保存則-(マイヤーの着想)

1840年にオランダ船の船医として東インド諸島へ航海したマイヤーは、熱帯に近づくにつれて水夫の静脈血が赤くなることに気づきました。
人体は食物から体内に取り入れられた栄養分を、血液によって運ばれる酸素によって燃焼させることで体温を維持します。
気温が高くなると必要な発熱量が減少し、血液中の酸素の消費量が減るため静脈血が赤くなる、とマイヤーは考えました。
さらに考えを進めたマイヤーは、食物の栄養分に含まれる「力」が体温維持のための熱の「力」や、水夫たちの筋肉の運動の「力」へと形を変えること、この熱や運動のもととなる「力」は様々に形を変えるが、その総量は変化しない、という着想を得ました。
マイヤーが「力」と呼んだものこそ、現在私たちが「エネルギー」と呼んでいるものだったのです。